そろばんアプリ完成(*´∀`*)
そろばんアプリ第一段階完成しました(*´∀`*)
4月からプログラミング教室の先生をしてくれる勝河先生がそろばんアプリを作ってくれました。
興味のある方は、Abacus Battle で検索して無料でダウンロードくださいね。
まだ第一ステージのみですが、少しずつ増やしていきます。
私の夢のひとつは、そろばんを世界に広めること。だって、そろばんを習っていた人ならきっと分かるそろばんの素晴らしさ。
電卓やパソコン、スマホは確かに計算をしてくれますが、それらを使わずにそろばん式暗算でそろばん無しでも計算できるようになります。スマホより断然速い。
また、一度そろばんをある程度覚えると、一生忘れません。なぜなら、買い物や時計など日常生活の中で常に自分で暗算で計算しながら過ごすからです。
頭の回転が速くなります(*´∀`*)
そろばんの先生のご年配の方を見ても驚くほどテキパキと仕事をしている姿を見ても、そろばんって素晴らしいなあ、と感じます。
昨日、セブ島のボランティアでそろばんを教えてきました。去年に引き続き2回目です。たった1時間程教えて、もう1年たったのに、子供達はちゃんと覚えていました(*´∀`*)すごいですよね。
そろばんアプリで、セブの子供達も私が次に来る時まで楽しみながらそろばんに親しんでくれたらなと思います。
そして、世界中にそろばんの素晴らしさを広めれたら夢が叶います😊
人間ドックの結果😫
30代前半までは、全てA判定だった健康な体も、A以外がチラホラ出てきて しまいます。
5年前の人間ドックの結果を見た時は、頭が真っ白😱になりました。
そして、まだ死ねない〜〜と言いながら、涙が溢れてきました。
子宮ガンの所に要再検査のF判定が。
更に心臓はC判定。
すぐに病院を予約しましたが、すぐには診てもらえず、再検査までの数日の間に悪い妄想ばかりしてしまい(>人<;)
子宮ガンから全身に広がり、心臓も弱ってしまったから、末期に違いない。
緊急入院することになるから、再検査にはパジャマを買って持っていこう。
娘は、おじいちゃんは調子悪いから無理だから、近所のお友達に面倒見てもらおう。おとなしいからきっとうまくやれるはず。
ああゝ、娘の制服姿が見たかったなあ、
森山直太朗のさくら🌸を聴きながら、桜ももう見れないのかな、と涙しながら病院にむかいました。
かなり混んでいて、ほぼ一日がかり。
検査結果を聞くときは、もうちゃんと覚悟ができていたので、落ち着いて、取り乱したりしない自信もありました。
そして、お医者さんの言葉。
何でもなかったよ〜〜。なんで引っかかったのかなあ。心配しちゃうよね〜、と。
はあ???
よかったけど、よかったけど、よかったけど、
はあ?????
私の顔がかなり切羽詰まっていたのでしょう。拍子抜けした私に決まり悪そうなお医者さん。
妄想でしたが、この事を機に、保険を見直したり、健診はマメに受けることにしました。
そして、今年の人間ドックの結果は、短期間で体重が増えたことを指摘され(>人<;)あといくつか結果待ちです。
健康って奇跡かもしれません。日々感謝しながら過ごしていきたいと思います(*´∀`*)
神様を家にお迎えしました(*´∀`*)
先日、神棚を作りました。
最近は、神棚を持つ家は少なくなってきていますが、いろいろ考えた末にやはり神棚を置くことにしました(*´∀`*)
どんな神棚にしようかネットで探しましたが、今は色々な種類があり、とても迷いました。
そこで、日頃からお世話になっている大みか神社⛩へ相談してみました。
余談ですが、大みか神社⛩は、最近パワースポットとして紹介されているので、昼間でも訪れる人によく出会うようになりました。
ホント、行くと、とても落ち着くんですよね。
神社の方に神棚について相談すると、とても丁寧に教えて頂きました。
さらに、御社(一社のもの)をお正月🎍は配布してるそうで、伊勢神宮からの御社を無料で頂きました(*´∀`*)
大みか神社⛩で、天照大御神様と大みか神社⛩の御札も購入。
あとは棚板と米や水などの神具だな。
神具は、意外にもホームセンターにあるとのこと。棚板もホームセンターで板とL字金具とネジで自分で作ればいいとのことでした。
大みか神社からホームセンターへ直行して、棚板の材料と神具を手に入れました。ホームセンターの方々もとても親切に教えてくれました。棚は、部屋の壁に合わせて白にしました。
塾を開ける時間ギリギリで家に着くと、小学3年生の生徒がいました。
「ごめんね🙏お客様(神様)連れてきたからギリギリになっちゃった(*´∀`*)」
と言うと、
「お客様ってどこ?いないよー?」
とかわいらしく車🚗の後部座席をのぞきこんでいました😝
「神棚作るから、お札とか御社のこと」
と言うと、
「なーーんだ、そういうことね😊
神様が来たってことか」
と納得した様子。純粋✨
塾終わってから、神棚の配置やら何やらを決めるのは、ひと苦労でしたが、真夜中についに完成(*´∀`*)
洋風の部屋でも全く違和感もなく、逆に神棚まわりは、なんとなく空気が澄んだような感じ。
とても落ち着くスペースになりました。
大丈夫なのかなあ?
約20年前に当時働いていた会社にパソコンが入り、1番の若手だった私は、たくさん失敗もしながらどうにか使い方を覚えました。
なかなかパソコンの使い方に慣れることが難しいけど、知識豊富な先輩方の書類作成に協力したりして、パソコンのスキルアップと同時にたくさんのことを学んだ気がします。
しかし、40歳で初めてスマホにしてからもうすぐ3年ですが、いまだに若い人や子供たち?みたいに早く文字が打てないことに年齢を感じてます。
さて、大学時代の友人が、アメリカ🇺🇸にご家族と暮らしています。
私の娘と同い年の中学生の娘さんがいて、学校の宿題はパソコンで作成&送信し、発表をパワーポイントでする授業もあるそうです。
さすがアメリカ(*´∀`*)進んでるなあ、
では終わらず、不安になりました…
今年フィリピンに行きましたが、フィリピンの小中学校もパソコンで宿題するらしいです
。゚(゚´ω`゚)゚。
日本の娘の通ってる小中学校では、パソコンの宿題などなかったなあ。娘に聞いたらパワーポイントが何か知らないし…
宿題はノート📓に2ページ自主学習、発表は手を上げて。゚(゚´ω`゚)゚。
大丈夫なのかなあ。
保育園では、とても園児とは思えない和太鼓や楽器演奏、運動会では一輪車でのパフォーマンスやハキハキと発表する姿などに子供ってこんなにできるんだ、可能性は無限〜〜さすが平成だなと感動を覚えました。
しかし、小中学校は、私がいた昭和からあまり変わっていなく、逆に驚きました。しかし、勉強するところだからいいのかな、とごまかしてきましたが…
もっと英語やらなくていいのかな?もっとパソコン使ったほうがいいんじゃ?
娘にも、パソコンやってないで、(紙の)宿題やりなさいと言い続けてしまったけど⁇
子供にはある特定の事柄に対して強い感受性が表れて、敏感になる敏感期があります。
しかも、敏感期にはただ敏感になるというだけでなく、その特定の事柄をいとも簡単に吸収します。寝返り、ハイハイ、歩行、 言葉などなど。その時だけにおとずれる敏感期。
逃してしまうと、その後は学ぶのはとても難しいと言われています。
日本の小中学生、敏感期逃してないよね?
大丈夫なのかなあ。
折れた観葉植物がまさか😯
先日、急に折れてしまった観葉植物の話をブログに書きましたが、
その後、処分はせず、あわよくばもう一度生き返ってくれないかと、折れてしまった部分を挿し木のようにして時々水をあげ続けました。
そして、昨晩気づきましたwww
挿し木は成功しませんでしたが、葉っぱがなくなった本体(?)から小さな芽🌱がでていました(*´∀`*)
うーーん、なんかすごい☺️
いろんなメッセージにとれるかも(*´∀`*)
あきらめなければ、必ず芽がでるとか、
目には見えなくても、中身は成長してるなどなど…
なかなかうまい言葉が見つからないけど、
とにかく植物ってすごい🎶
大きな観葉植物が折れてしまいました(¬_¬)
リビングにいくつか観葉植物が置いてあります。その中で一番大きな観葉植物が折れてしまいました。
たくさんの葉っぱの重みに少し細めの茎が耐えられなかったようです。
突然、静かに折れました。
その頃、娘の受験などで、心が少し滅入っていたのですが、娘の迷いもなくなり、私もホッとした頃でした。
そういえば、以前、植物は無償の愛情を与えてくれて、枯れる時は、弱っている人に全てのパワーをくれるという話を聞いたことがあります。
初めての人生の大きな決断に迷う娘本人と、その姿にハラハラし続ける私にパワーをくれたのかなあ。
今は、リビングで何か物足りなさを感じながらも、目標が定まった娘と心穏やかに過ごしています。
親友のユージーン(*´∀`*)
親友のユージーンは、私が30歳で日本に戻ってから1年後に64歳で亡くなりました。
筆不精の私は、ユージーンからのメールに返事書かなきゃなぁ、なんて思いながら日本での慌ただしい日々を過ごしていたので、亡くなったことを聞いたときは、メールを書かなかったことを後悔しました。
ユージーンとは、メキシコの養護施設で出会いました。
アメリカのマイアミ出身のユージーンは、その養護施設に親戚が支援していて、見に来たそうです。すぐに帰る予定が、子供たちや人懐こい村の人達と過ごすことが楽しくなり、アパートを借りて養護施設のある村に住んでいました。
その後、私も子供達と過ごす日々が楽しくなり、近くにアパートを借り、お金が続く限り、毎日子供達に会いに行き、ユージーンともたくさんの時間を過ごしました。
ユージーンは、ちょっとサンタクロースを思いだす外見に、「ホーホッホホ〜〜」という独特な笑いかたをします。
おしゃべりが大好きで、ユージーンと一緒に町を歩くと、次々にいろんな人と話し出すので、なかなか前に進まなかったなあ。
ユージーンと一緒に、兄弟が違う施設にいる子供達をその施設に連れて行ったり、英語を教えてもらったり、時には、惚れっぽいお茶目なユージーンが、私の日本人の友達に恋したり💌
そんな楽しい日々も、ずっとは続かず、私は村から離れて仕事を始めました。
それからしばらくして、仕事の休みの日に、久しぶりにユージーンに会い、一緒に重症心身障害児が過ごす施設に行きました。車椅子の子、寝たきりの子など、15人ほどの子供達が静かに過ごしていました。
私は何気なく、寝たきりの子の横にあったガラガラを慣らしてみると、その女の子はニッコリと笑いました。
ユージーンは、「その子が笑ったのを初めて見たよ。Shokoは子供と関わる仕事をしたらいいのに。」と私に言いました。
その時の私は、一般企業で働いていたので、いつかそうなればいいなあなんて思っていました。
それから、本当に色々なことがあり、今は、塾を開いて、毎日子供達と過ごせていることは、本当に幸せです。
今、英語を教えてるのもユージーンがきっと見守ってくれてるからかなあ。
よく返信が遅れる私に、いつも、「返事がないのは元気にしてるからだと思ってるよ、ホーホッホホ〜〜」と許してくれたユージーン。
返信しそびれたメールのかわりに、ブログに書いてみました(*´∀`*)