terakoyakunのブログ

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祖母の命日でした👵

今日は祖母の命日でした。

 

祖母が68歳で亡くなったのは、私が19歳のときです。

 

私は大学生で大阪に住んでいましたから、連絡を電話で受けて、すぐに高速バスで実家に帰って来ました。

 

身近な人が亡くなったのは初めての経験でした。

 

帰る高速バスの窓際の席で、窓の方に顔をむけ、流れてくる涙を周りの人に気づかれないようにハンカチでふいていたのを覚えています。

 

 

実家に着くと、目を赤くした祖父が玄関まできて、祖父は、

「ごめん、おじいちゃん、

 おばあちゃんころしちゃった」

 

と。

何もできずに祖母が亡くなってしまったことを、悲しくて、自分のせいのように考えてそのような言葉になったのでしょう。

 

「何言ってるの、おじいちゃんのせいじゃないでしょ」

 

と言って、祖母が横になっている部屋へ。

 

祖母は病気を患ってたため、片目の周りがゆがんでいました。

 

 

 

祖母が亡くなる1ヶ月ほど前、ちょうど春休みで帰省していた私は、

母から、

「もうおばあちゃんに会えなくなっちゃうかもしれないから…」

と意味深なことを言われていました。

 

その時に、もしかしたら…という気はありましたが、人間嫌なことからは目をそらしがちになってしまいます。まさかそんなことはないだろう、と実家の滞在期間を伸ばすことはしませんでした。

 

その帰省した時に、祖母が、その頃ゆがみ始めた目の周りを私に見せて、

「ここね、ゆがんできちゃったから、手術したらよくなるんだけど、手術がすごく痛いんだって。

 しょうこちゃん(私)ならどうする?」

 

と聞かれました。

私は、返答に困りました。

でも、

「私なら、よくなるなら手術する」

と答えました。祖母がこれからもずっとずっと生きていると思って。

 

それが最後の思い出です。結局その手術もしないまま祖母は亡くなってしまいました。

 

祖父はお葬式などの間、ずっと号泣していました。

 

生前は祖父母はお世辞にも仲が良いわけではなく、しょっちゅうケンカばかりだったのに。

 

 

人間の心は不思議です。

 

自分でもわからない。

大切なものを見えないふりをしてしまう。

そして、今がずっと続く気がしてしまう。

 

もうすぐ祖母が亡くなって30年です。

 

 

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